72°

書いたものなど

来たりなば

いつもきみのことを思ったし笑いながらもほんとうはずいぶん待った

 

うす青に静かに灰を溶いた頃にもどるような冬は遠からじ

 

出藍のことだったと思われる「空より出でて空より寒き」

 

何千回も出会うようで一度だって知れない きみは迫るように見る

 

つめたい香りが高くて哀しかった 思い返しても誰もいなかった

 

傘を開くかのように来るがその実は雨のように去っていくのだった

 

ゆくときに風ひどくて笑むことも傲慢だからわからないフリだ

 

孤独なのできみにことさら話すべきもないが実に下らない季節だった

奈良吟/平成30年度

あれは誰かすがった痕 折れ指のささいな乱暴を覚えている 

 

ほんとうは水掻きなどない(だって人だ)(ふくよかな甲がさいごの影だ)

 

これは祈りなどではない、だからどうか嘘をつくならもっと上手に

 

帳降りて目も開けられなくなってから目を合わせたらそれきりでさよなら

 

花を蒔き雲を散らせばきみの目に残るものかと思うむかしの

 

対峙のときまず明らかにきみを見た 信心とは能く言ったものであった

 

古めく本のこと思っていた きみの住むうすくらやみで息を吸いながら

 

けれどもしぐさが祈りになるならば祈ることを探しに遠くまで

 

四国吟/平成30年度

見えないがおそらくはそこにあるだろうと信じられる海のような夜

 

あの崖が最後で、その先は誰でさえわからないのだと思いたかった

 

逆巻くふりをしていた 手ずからのニヨドブルーにすがる夢だった

 

きっとそうではないのだと知りながらさいはての川を追いかけてきた

 

「四万十が晩夏の歌を歌いながら流れて」(わたしの輪郭も失せて)

 

あなたたちの目がほんとうに赤いことを知る、わたしの記憶に泳ぐ

 

白たえの波打ち際の内側の嵐を思えば夏ならなくに

 

まなうらに岬の見えるような気になる なおさらに思い出せずとも

歌を歌うよう

いずれ遠く忘れてしまうの だから黒幕の裏側で笑うのです

 

この真理を読み上げるためにあなたが逸らしたものを憶えています

 

門は閉じて 冴えざえと夢浚えば潮の満ちいる日も憶えている

 

いつかいつか起源のこと、僕のこと、黙示録のこと教えておくれ

 

きみに語るのもわずらわしい、満ちるまですこしの間を思慮している

 

きみの死も杞憂であれと思うては 思えど思えど罪になるかも

 

眠るふりに興じるのに忙しくてすぐそこに来るすべてが見えない

旅行

 

巻く、巻く、ゆっくりと、
うすくけぶる山並みが黙って通りすぎていく。

 

壁むこうに臥せる彼らが見えなくなって、
隣席の友人はなにも言わないが、
潔白なくらい、その人に話すこともなく。

 

よく冷えた瓶、朝雨、そういうものたちが、
うしろに飛び去るようにしていって、
アップライトの幻聴も、
境目のない世界も、その人の明日も、
みんなかすかになってゆく。

 

いくつかの橋を越えて、すこし眠ったり、
果てしのないことについて考えたり、
友人がまどろむのを眺めながら、
瑕疵もなく、簡単に、
とおくにいってしまうことを恨んだり。

 

巻く。

 

わたしたちはあきれるほど知っていた。

 

よるべより

飛切をむらなく蒔いて 天上がこんなに惚けた日があってもいい

 

車は船、夜の牽きゆくばかりさえ先を譲るが越えることはなし

 

果物坂眩ませるような暗がりで独りいずれかの文と転げて

 

天幕を幾枚剥いでの夜の果てを息づくような藍にみている

 

摺りたてのありあけで絹を塗る、星がいっとうよく映えるように

 

来たる、このわたしと命は知るらんと、夜明けと春は同じ方から

 

能登吟/平成30年度

 

空までも長閑に塗るきみのために

 

かの手による涅槃西ならいつまでも

 

おおでまりをついて歌ってゆくところ

 

大わにのしずかにて呑む春の月

 

春惜しの海ひるがえして昼の底

 

かぎろひに似ても黙まりそこにある

 

春闌に鳴らしましますのどの国